文系学生のブログ

日々感じたこと、考えたことをつらつらと書いていきます。

また心が不安定になってしまった&口の軽い友人

こんばんは。

 

今日、一日ゆっくり休んでいたはずなのに、調子が悪くなってしまいました。

夕方に長々と寝てしまったのが悪かったのか、テストへの不安のためか、はたまた女性ホルモンの乱れゆえか、音がいつもよりも気になります。気になるときって気にならないときの感覚を忘れてしまいますね。どのように普段感じていたんだろう。

ノイズキャンセラーなるものを買えばいいんでしょうかね? 明日買ってこようかな…。

 

あと、不安になると母に相談するのですが、最近かなり母に依存しているなぁと感じます。一人暮らししてなくて良かった。母には手のかかる子どもで申し訳ないと思ってます。私は小さな頃からなんか上手くいってなくて…。心配掛けてるんだろうなぁ。

 

ところで、私は多分人よりも過敏なのですが、このことが良いことでもあるかもしれないとも思う反面、色々なことが気になりすぎるくらいなら、そんなに鋭い感覚を持っていない方が毎日平穏に暮らせていたのかなと、その特性を恨んでもいます。普通の人がさらっと処理、もしくは無視できることを、私は一々問題点として取り上げているんだと思います。処理することが多すぎて頭の中がプチパニックを起こしてるんじゃないかなぁ。

せめて、その感覚の鋭さを上手く芸術などに昇華できれば良いけれど、そう上手くもいかないもので。漫画を描こうと思うこともあるのですが、板タブが苦手すぎて(数年使ってて最近気付いた!)、デジタルで描くのは疲れるので結局描くのをやめてしまいました。紙に描くような感覚で描きたいので、液タブやタブレットを導入すれば変わるかな…。

 

そうそう、話題は変わりますが、友だちや恋人との思い出を他の人に話すのってどう思いますか?

私は話してほしくないし、話さないようにしているのですが、私の友人に何でも話してくる人がいます。恋人と何をしたかまでこちらに筒抜けでなんだかなぁと思っているのですが、私は誰かとの思い出って二人(当事者)だけが知っているからこそ、特別感があっていいと思うんです。また、恋人同士であればそちらの方が甘美だなぁと感じます。これは単なる私の理想を語っているだけですが、プライベートを知られても構わない、むしろ知ってほしい! って人がいるんだなぁと実感しました。

 

では。

 

怒りは自分に向けて?

こんばんは。

 

先日、以下の三冊の本を購入しました。

①菅野仁氏『友だち幻想 人と人の〈つながり〉を考える』(筑摩書房、2008年)

 

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

 

 

齋藤孝氏『語彙力こそが教養である』(KADOKAWA、2015年)

 

語彙力こそが教養である (角川新書)

語彙力こそが教養である (角川新書)

 

 

③前田裕二氏『メモの魔力 The Magic of Memos』(幻冬社、2018年)

 

メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)

メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)

 

 

齋藤先生の本は今日読み終わりました!

追って感想を書きたいと思います。

また、残り二冊は並行して読み進めています。

新書と実用書のため、文体が平易で文字も詰まっておらず、とても読みやすいです。

 

今日も本を買ってしまいました。

というのも、齋藤先生の本で紹介されていたからなのですが…。

それがこちらの本です。

三島由紀夫『不道徳教育講座』(角川書店、1999年)

不道徳教育講座 (角川文庫)

不道徳教育講座 (角川文庫)

 

まさに、この表紙(特別版? とても綺麗)の本を買いました。

この本は三島由紀夫のエッセイなのですが、私は本屋さんでパラパラと軽くめくっただけで、興味を惹かれました。他の文豪について言及している文章もあり、大学の専門的に非常に気になる内容です。

まだ読んでいないのでこちらについても感想は追々。

 

ところで、日ごろ「怒り」を感じる場面ってありますよね。

私であれば、遅刻をしたのに何も連絡しない相手や、出る人がいるのに我先にと電車の中に入ろうとする人に腹が立ちます。

しかし、さてその怒りの対象は誰なのだろうと考えたとき、実はその対象が"自分"なのではないかと思うようになりました。

具体的には、遅刻を許容できない"自分"にだったり、気に入らない行為を目にするとすぐに腹が立ってしまう"自分"に対して怒っているのではないかと考えたのです。

確かに、上述した例の場合は怒りを覚えても致し方ないとは思います。でも、"私はこんなことで怒る狭量な人物である"という事実が自分の理想とは離れているため、その差異に「怒っ」ていたのではないかとも考えられるのではないかと思いました。

もちろん相手に対して怒ってもいるのですが、自分に対しても少しは怒りが向かっているのではないか、と思う今日この頃です。

 

(本当は、自分が悪いのに、その非を認めたくないがために相手に怒りの矛先を向けることってあるよね! という話にするつもりだったけど、自分の例があまりにも恥ずかしいのでやめた)

 

ではまた後ほど!

 

 

 

『森田療法』読了!

こんばんは〜

 

岩井寛氏の『森田療法』(講談社、1986年8月)読み終わりました!

非常に読みやすかったです。

 

この本では、不安を「あるがまま」にして、「目的本位」の行動*1をとることが、結果として「とらわれ」から脱却し、「自己実現」*2をすることにつながるとしています。

 

*1 自己実現のために必要な行動。例えば、学校や会社を辞めずに不安で苦しいながらも行ってみる等。

*2 本当にやりたいことをすること。不安がなければやりたいことをすること。

 

筆者も最後は病に冒されながらも、自分のやりたいことをやり通したことがとても心に残りました。

また、この本には多くの患者さんの症例が載っています。患者さんの症状は共感できるものばかりで、自分だけじゃないんだなぁとホッとしながら読み進めることができました。

さらに、見事逃げることなく不安と向き合い自己実現ができるようになったという方の例も書かれています。自分と同じように苦しんでいる人も不安と向き合い自己実現を果たせた! ということが書かれているのが嬉しくて、元気付けられて、涙が出てしまいました。

 

ここで、以前書いた "同窓会に行きたかったけど行かなかった" ことについて思い出しました。

私は、行っても話す人がいないかもしれないのが不安で同窓会を欠席したのですが、これは、話す人がいない(本当に一人もいないわけではない)という不安に「とらわれ」て、同窓会に行って皆の近況を知りたい・話したいという、本当にしたいことができなくなっていた、ということだと分かりました。

冷静に考えてみれば、いくら友だちが少ないといっても、誰も相手をしてくれないということはないと思うので、過度に不安になっていたのだなぁと思います。行けば二次会に参加できたり、最近会っていない友人と話もできたのかもしれないのに、ちょっと惜しいことをしました。

他にも、旅行に行こうと思ってもそこで地震にあったらどうしようとか、自分ではどうにもならない不安のために、本来の自分の希望を我慢することもあるのですが、不安を避けようとするあまり、楽しい経験を逃しているのかと思うとちょっとショックですね…。

これからは、不安にとらわれ過ぎて自分のしたいことを見失わないように気を付けようと思いました。もったいないからね。

あと最近、数年間会っていない後輩に会わないかとお誘いをしました。結構進歩したと思う! ほんと誘うのが苦手なんですよ〜。

 

それと、思ったのですが、苦しいときって孤独だと感じますよね〜。

実際私も、レポート提出が迫っているのに何もせずに休日を過ごした後なんかは、他の子は終わってるよね〜とか、私ばっかり計画的にできないわー、駄目ねーとか思うことも多いのですが、いざ友人と話してみると、これからやると言われることもあって、おお、私だけじゃないんだとちょっと勇気付けられます。安心してる場合じゃないんですけどね! 

また、今治療中の、過度に不安になるという症状も、以前は自分だけなんでこんなに辛いの? と自分だけが苦しいんだと思い込んでいました。しかし、本を読んでみると同じような症状を持つ人が確かにどこかにいるということが分かったし、どこかが痛むことを重大な病気の前触れだ! と思ってしまう症状に関しても、家族に聞くと同じところが痛んだことがあったけど治ったよ〜とか言われて安心したりと、苦しいと意識が自分、自分に集中してしまって、客観的に考えられなくなっていることが分かりました。

自分だけで考え込むと悪い方に考えてしまうので、誰かと話したり、場合によってはお医者さんにかかったりすることは大事だと実感した一ヶ月でした。

 

明日は帰りに本を買ってきます!

楽しみ〜!

では!

レポート終わった&本を読みたい

レポート終わりましたー‼︎

やった!

これでスプラトゥーンができる!

 

最近気になっているのがスマブラです。Wii U版は持っているのですが、switch版はまだ買っていなくて…。春に弟と対戦するのを密かに楽しみにしながら今はお金を貯めています。

以下蛇足ですー。

個人的にCPU対戦なら遠慮なく戦えるのですが、スプラトゥーンのナワバトとかで初心者の方とあたると、あんまり倒すのもすまねぇ…と思ってしまうので、対人のゲーム向いてないんじゃないんかとも思ってます。その割には楽しんでやっている気もしますが。

その点弟なら遠慮いらず! しかし、あっちもあっちで私を倒す倒す! 私は弱い!

 

あと本が読みたいんです。最近本を読むようになりまして!

前から言っている森田療法の本(ともに新書)も二冊とも読みやすかったし、診療待ちの間に念願のシャーロック・ホームズシリーズを読んだのですがこれも、これがあのホームズだ! と楽しく読めました。

新書の文章って読みやすいものが多くて、大学生になってから新書の棚を回ってみることも増えました。物語よりもルポ物の方が少し気楽に本を開ける気がします。

大学の講義で扱われる本も、ちょっと堅苦しいかなと思っても読めば共感できたり、興味を惹かれるものが多くて、また本を楽しめるようになったと嬉しく思っています。

本を読むようになるまで結構ブランクがあったんです。

以前は、自分が小さかった頃の読書量と比べてしまって今はあんまり読めないなぁとがっかりしていた時もあったのですが、さっき書いた文章では、"今"本が(何冊でもいいから)読めていることに注目できていることに気付きました。

この変化は森田療法のおかげなのか、薬のおかげなのか…。何にせよ良い変化です。この調子でいこうと思います!

 

では。

少し元気になりました

最近めっきり絵を描いていなかったのですが、昨日は数ヶ月ぶりに絵を描きました! しかも一日中描いてました…。不安ともどもレポートは放ってね…。

おとといもスプラトゥーンをやりまくってたので、だんだん「不安なこと」はそのままにしながら「楽しいこと」ができるようになってきているのを感じます。

(スプラトゥーン、今まではテレビに繋げてやっていたのですが、最近switchの小さな画面でやるのにも慣れてきて、ますますプレイ時間が増えそうです。怖い(笑)。中毒になりそうな何かが画面から出てる気がする)

はたから見るとダラけてるだけじゃないか、と思われると思いますが、治療を受ける前は趣味どころの話ではなかったので大きな進歩だと思います。

 

ところで、ツイッターを見ても他の方のブログやサイトを見ても、夕暮れ時の空が好きな人が多いなぁと感じます。私も好きです。短時間で空の色が次々に移り変わるのが綺麗ですよねぇ。

私は夕暮れ時以外の空も好きで、雲の形を眺めるのも、月がぽっと浮かんでいるのを眺めるのも小さい頃から好きです。家の近くに建物に遮られない、とてもいい撮影スポットがあるので写真を撮るのも楽しみの一つです。空はいつも移り変わっているので、同じ日に写真を撮っても時間や場所、撮る人によって全く異なった表情が写し出されるというのも良いですよねぇ。

 

あと、今日とっても良い夢を見ました。夢見が良いと朝から気分が良くてとても良いですね。

 

夜はのんびりレポートを書きます。終わるといいな。

また書きますね。

最近の心の調子

こんにちは!

 

以前言ってたレポート書き終わりました。

ほんと、思いついてしまえば通学中にも終わるのに終わらせようと意気込むと何であんなに煮詰まっちゃうんでしょう。不思議。

 

話は変わって、今日も心療内科にかかってきます。

以前の受診から2週間程度経ちましたが、まだ不安感はなくなってません。森田療法本にも不安はなくなることはないと書いてあったので、不安があることはおかしくないと思うのですが、問題なのは不安がたまに(私の場合は夕飯前に起きることが多い)ブワッと膨らんで急に苦しくなることです。

これからご飯だというのに泣き出してしまってこたつの中で丸まってることもあって、まだまだだなぁと感じます。

 

でも、薬の副作用のおかげでぐっすり眠れるのは嬉しいです。寝る前に余計なこと考えちゃうことも多いので…。

 

症状が改善したら青春18きっぷを使ってどこかに行ってみたいのですが、行けるかなぁ…。外に出ると食べ物が入らないんですよ。

この前も単身京都二泊三日旅行に行って来ましたが、ご飯を食べられなくて低血糖症みたいな症状が出ました。楽しみにしてたのに帰ってきたらヘロヘロ…。もっと行きたかったところもあったのですが一日一箇所しか訪ねることができなかったんです。残念無念。

それとは別に冬の銀山温泉に行ってみたい。綺麗なんですよねぇ。

 

ではでは、また。

 

■追記

最近、スマホカバーとスマホに貼るフィルムを変えたんですよ!

(変えるまでは、スマホカバーは塗装が剥げかかっていたし、フィルムは端が汚れてたり、傷が付いてたり、剥がれかけてたりした)

そうしたら見違えるように綺麗になってスマホを触るたびにニヤニヤしてしまうので、本当オススメです! 気持ちだけは新品気分になれますよ! 何より安いし!

そうあれかしとやっていることが逆の結果を生むことに気付かされた

こんにちは。

最近よくブログを書いてます。

書くの楽しいんですよねぇ。

 

世間は祝日ですが私は特に何の用事もなく、レポートを書きながら過ごしました。これがまた終わらないんだ! 高い評価を得ようと思っているわけではないので、とりあえず指定字数以上書いて出せればいいのですが、どうしてもあと一項目が書けない! 提出日が迫ってるのに!

 

あと昨日は以前買ったと言っていた森田療法の本を読みました(北西憲二氏『はじめての森田療法講談社、2016年8月)。その本に書いてあった、"何かのためにやっていることが結果的に逆の結果を生み出してしまう"ということについて、家族との会話の中で気付きを得ました。確かにそうだなぁと身をもって実感したんです。

上の文章だけでは言っていることが分からないと思うので、自分の身に起こったことを例にして説明します。

 

  1. 今は違う環境にいる友人と長く付き合いたい・仲良くしたい
  2. 友人は忙しいだろう・他の友人との予定があるだろうと気を遣って連絡を控える
  3. 自分が連絡をしない間に友人は他の友人と遊んで仲を深めている
  4. 自分と友人の仲はだんだん疎遠になる

 

この例では、友人と仲良くしたいと思って良かれと思ってとった行動(連絡を控える)が結果的には友人との仲を疎遠にするという、したいことと逆の結果を起こしてしまっています(私は向こうが遊ぼうって言ってくれても建前かもしれないし…と思ってしまうタイプなので余計疎遠になる)。今思えばそりゃ疎遠になるだろうという行動なのですが、最近喋ってない自分が誘っちゃ悪いかなぁと思ったんですよ…。

(以前にも同窓会欠席しちゃった。辛い。とか書きましたが、まさに自分から繋がりを絶っていますね。その行動が自分を寂しくさせるのに!)

このようなことが心配症の人の行動にも当てはまるというのです。気にしたくない・考えたくないと考えれば考えるほどそのことに目が向いてしまい、余計に気になってしまうようです(なんか自分の例が適当じゃない気がする…)。

まだ読んでいる途中ですが、楽しく読むことができています。

 

でもまだ色々なことが気になるんです。なんか左指が痛いし。文もまとまりがないし。やだなぁ。

 

とりあえず、さっさとレポートを終わらせて本を読みたい。

ではまた。

 

■追記

刀剣乱舞が四周年ということで我が近侍、長谷部君【極】のボイスを聞いてきましたが、追加ボイス? やばくないですか? 長谷部君やっぱり好き。レポートで萎びきった心が潤ったよ〜。