文系学生のブログ

日々感じたこと、考えたことをつらつらと書いていきます。

ふとした瞬間に寂しい気持ちになる

こんにちは!

クリスマスが終わってしまいましたね。私はクリスマスの華やかな雰囲気もクリスマスソングも好きなのでちょっと残念です。

イブは友人とお茶をしました。去年まではしょぼくれながら家に直帰していたので今年は良かった良かった!

そこで結婚相手に求める理想と自分がどうありたいかという理想についての話をしたのですが、私は教養があることが大事かなぁと考えています。友人とも話したのですが、例えば語彙が豊富であれば、スムーズな会話ができると思うし、何か話題に関する実際の事例や事件を引いてきて、それについての考えを話し合うことができると思うからです。典拠を示せる人になりたい! 

個人的には、教養があるということは偏差値や学歴、肩書きとはまた別だと考えています。とはいえ、ある程度そのような色眼鏡で人を見てしまうのも事実なので、気をつけなきゃなぁとは思うのですが。

あと、最近思うのですが教養を高めるためにはやっぱり読書が大事なのかなと思っています。個人的に頭が良いなぁと感心する人は皆本を読んでいる! 

 

本題から逸れてしまった。 

タイトルにもあるようにふとした瞬間に寂しさを感じることがあるのでそれについて書きます。

 

先週末に小・中学校の卒業アルバムを見返していたんですよ。そしたらあるある、カメラに目も向けずに沈んだ表情をする自分の顔が。

実はその頃同級生に友だちがいなくて、ただひたすら勉強するだけのために学校に行ってたんです。放課後もだいたい家でゲームするか読書するかで、習い事をする元気もなく、たまに遊びに誘ってくれた子もいたけど、家みたいに喋れなくて終始無言のまま過ごすこともしばしば。笑うこともできなかった。

(後から調べたらどうやら場面緘黙症という症状があるらしい。症例を見てみたらそれそれ! と頷くものばかりでちょっと救われた気分になりました(症状に名前が付いてるとなんとなく落ち着くことってありません?))

そんな日々が続いてやっと高校に入学し、環境が変わったことで友だちができた! と喜んでいたけどやっぱり上手くはいかない。話しかけることとかグループでの会話がとても苦手で(今でも苦手。できるなら一対一で話したい)、疎外感を感じることも多かった。

それで大学に入学して、割となんでも話せる友人もできた。そこまでは良かった。だけど、最近同窓会についての連絡が来た。そこでやっぱり皆みたいにはいかないなぁと寂しさを感じてしまった。

連絡が来たなら行けばいいじゃんと言われてしまえばそれまでだけど、中学の同級生に友だちはいないから行ったところで話す人がいない。

中学の同窓会は行くのをやめる。

高校での友だちも少ないので、彼女たちを頼ればいいかといっても彼女たちにも他の友人がいるから始終くっついているわけにもいかない。そうなるとひとりぼっち? とか考えてしまう。

高校の同窓会も行くのをやめる。

と欠席することを決めて行くうちに、年始に一切同級生とは会わないという結果になってしまった。

自分にそういう集まりに行きたいという意思がこれっぽっちもなかったらこんな風にダラダラブログを書いていることもないと思うので、やっぱり行けるもんなら行きたかったんですよね〜。卒業アルバムを見ると皆楽しそうに見えて、でもそんな思い出が自分にはなくて。絶対に戻れない時間だからこそ悔しくて。話してみたい人もいたし、お礼を言いたい人もいたのにできなかった。

そんなこんなで、楽しそうな周りを見てるとちょっと妬んでしまう今日この頃です。